国学院大学栃木短期大学 Contact Site map Access 人間教育学科 日本文化学科 国学院大学栃木短期大学 Home
大学概要学科紹介入試情報進路(編入学・就職)キャンパスライフリンク集

  本年度の調査見学案内は こちら をご覧ください。
  中根八幡遺跡の発掘調査・研究

中根八幡遺跡とは?
中根八幡遺跡リーフレット2019年度版(PDF)
 今から約3000年前、自然の恵みを得て生活してきた縄文文化が成熟期を迎えます。関東地方では、大規模なムラをつくり、大形で精巧な耳飾やミミズク土偶などを使った儀礼をおこなっていましたが、そのムラの姿は、中央が窪地で、まわりが膨らんだドーナツ形をしています。このムラの形を考古学者は「環状盛土遺構」と呼びますが、その北限が栃木県です。小山市寺野東遺跡は最初にその重要性が指摘され、国の史跡として公園が整備されていますが、栃木市藤岡町に位置する中根八幡遺跡もそうしたムラの1つです。

 環状盛土遺構をもったムラの多くはその後突如として使われなくなります。ちょうど九州に農耕が伝わり、東日本にもアワ・キビの栽培が伝えられる頃です。それは縄文文化=食料を採集する文化から食料を生産する文化=弥生文化への大きな時代の変革の1つの減少と考えられています。

 こうした縄文文化の成熟期から変革期への移り変わりを解明する糸口をつかみたいと、國學院大學栃木短期大学では、奈良大学と共同で、中根八幡遺跡学術発掘調査団を組織し、栃木市教育委員会、地元中根地区と連携し、2015年度から中根八幡遺跡を発掘調査しています。

 中根八幡遺跡の発掘調査・情報発信の一部は、平成28~30年度栃木県大学・地域連携プロジェクト支援事業・令和元年度栃木県大学地域連携活動支援事業の一環としています。

これまでの調査成果  

(1)中根八幡遺跡は長期間にわたって人々が生活していた
 これまでに出土した多くの縄文土器の文様の違いから、中根八幡遺跡で最も古い土器は縄文時代前期(約6000年前)のもので、その後の中期中葉(約5000年前)から晩期前半(約3000年前)は途切れることなく多くの土器が見つかっています。地元の文様だけでなく、中部地方や東北地方の文様の土器も見つかっています。

(2)縄文人は関東ローム層を掘り返して盛土していた ~A区の調査成果~
 中根八幡遺跡の「環状盛土」部分からは、古い土器と新しい土器が混ざって見つかるので、新しい時期の縄文人が、古い土器を含んだ地面を掘り返したことがわかります。
 また、基盤層の関東ローム層と同じ性質の黄色い土層が、縄文時代の黒色土の上からも見つかりました。この土に含まれる火山灰を顕微鏡で観察したところ旧石器時代のさまざまな火山灰が混ざっていることがわかり、土器同様に、古い土そのものが掘り返されて上層に盛土したことを示しています。

(3)縄文人は建物と盛土を累積させていた ~C区の調査成果~
 C区の調査ではたくさんの穴が見つかりました。大きさや深さから、柱穴や墓穴と考えられます。東側の一番高いところからは、後期後葉(約3300年前)の柱穴が多数見つかりました。そこから約30cm低い西側では、より古い後期初頭(約4300年前)の大きな土器が埋められていました(展示中の埋設土器)。さらに隣の調査区では、地表から約50cmの面から、もっと古い中期後葉(約4700年前)の穴が確認されています。


 年次調査報告等

 
最新情報はこちら お問い合わせ
中根八幡遺跡学術発掘調査団のFacebookページ
 調査期間中は、発掘の様子が日々アップされます。
 また、調査・研究の成果なども随時公開されています。
 Facebookアカウントが無くても閲覧可能です。
 〒328‐8588 栃木県栃木市平井町608
 國學院大學栃木短期大学
 日本文化学科 日本史フィールド
 0282‐22‐5511(代)
 メール gakuseika@kokugakuintochigi.ac.jp






 
国学院大学栃木短期大学

© Kokugakuin Tochigi Junior College, All rights reserved. リンク・著作権・個人情報ポリシー